由緒

当神社の創建は古く、およそ1000年前の寛仁元年(1017年)までさかのぼります。平安貴族の中でも栄華を極めた関白藤原道長が東成郡中道法性寺なるところに別邸を建て、スサノオノミコト、ククリヒメノミコトの同一神とされる牛頭天皇白山権現を鎮守の神として奉祀されたのが始まりです。その後、仁安元年 (1166年)に社殿を再興し、天正12年(1584年)には現在の地に遷座。社殿を東向きに配し、牛頭天王白山権現社と称せられました。

そして、明治5年。八阪神社と改め、この地の産土神社となります。明治42年には境内より暗越奈良街道参詣道を開拓し、街道筋に大鳥居を建てましたが、大正6年、玉垣を新設するとともにこの大鳥居を移動し、その跡に社名標石を建てています。現社殿は、氏子総代、世話人、崇敬者などが準備・設計を進め、大正11年12月に起工。大正13年5月末日に完成し、その姿を南向きに変えました。大正13年6月1日より5日間、遷座祭をとり行いました。

御祭神

素盞鳴尊(スサノオノミコト)【(厄除け・交通安全)】

スサノオノミコトは、伊勢神宮にお祀りされている天照大御神の弟で、「ヤマタノオロチ伝説」でとくに有名な神様です。昔から、疫病、悪事、災難を鎮めるご霊徳を持たれ「厄除けの神」として信仰されています。また、新羅国との交通を始められたことで、交通安全の神、外交の神としても信仰されています。

菊理姫命(ククリヒメノミコト)【(良縁結び・夫婦円満)】

日本神話の中で、イザナギノミコトとイザナミノミコトが夫婦喧嘩をなさったときに、ククリノヒメノミコトが上手に仲裁をされたので仲直りされたというお話があります。そこから「良縁結び」「夫婦円満」の神様として信仰されるようになりました。「ククル」とはひとつに束ねる、結ぶという意味があります。

スサノオノミコトは学問の神

ヤマタノオロチを退治したことで、勇ましい神様のイメージが強いスサノオノミコトですが、じつは、日本で最初に和歌を詠まれたことでも知られています。「八雲たつ出雲八重垣(いずもやえがき)妻隠(つまご)みに八重垣作るその八重垣を」雲が湧き出る出雲に妻と暮らす宮殿を建てたが、その何重もの垣が雲のようだ。という意味でしょうか。以来、学問の神としても信仰を集めています。合格祈願にいちどお祈りされるのもいいかもしれませんね。